在宅医療を選ばれた
ご家族の声
病気と向き合う時間のなかで、「家で過ごす」という選択がもたらしたもの。
在宅医療は、決して簡単な選択ではありません。
実際に在宅医療を選ばれたご家族の体験を通して、
その時間がどのようなものだったのかをご紹介します。
ご家族の声
母との筆談メモが、今も私の宝物です
病院か、在宅か。
迷いのなかで母が選んだのは、「家で過ごしたい」という想いでした。
不安もありましたが、家族と過ごした時間は、かけがえのないものになりました。
母と家族を支えてくださった土井先生
病院では叶わなかった、日常の時間。
家に戻ってから、母は買い物に出かけ、笑顔を取り戻しました。
最後まで家族で寄り添えたことを、今も心から良かったと思っています。
「無理のない範囲で大丈夫」と言ってもらえたこと
病院では、一律の制限の中で過ごす毎日でした。
在宅医療に切り替え、定期的な訪問診療の中で相談しながら判断してもらえたことで、家での生活に安心して向き合うことができました。
自宅での緩和ケアを選び、主人を見送るまで
動けなくなった主人を前に、どうしていいか分からず不安でいっぱいでした。
そんな中、すぐに診療を始めてくださり、主人の気持ちを尊重したうえで「家で診ていきましょう」と寄り添ってもらえたことが何より心強かったです。
味方が一人増えたような安心感
先生と一緒に看護師さんをはじめ、診療を支えるスタッフの方が来てくれます。
いつも先生にはきちんと話をしなくては、とこちらも自然と構えてしまうところがあって。
だから、診療の中でスタッフの方が話を一緒に聞いてくれているのは、味方が一人多い気がして心強いし、うなずいて聞いてくれるだけでも心が軽くなります。
それから、先生には言うほどでもないけれど、ちょっと言いたいことがある時とか、同行してくださるスタッフの方に話をするんです。
毎日生活をしている訳だから、困った事だけじゃなくて、面白かったこと、楽しかった事もある。
そんな事もスタッフの方に話をして一緒に共有できたら、私も心が軽くなったり、また頑張れる気になれます。
だから、先生と看護師さんをはじめとしたスタッフの方に来てもらえるのは、とても安心できました。
緊急対応があるということ
医院からもらった緊急連絡先は、見える所に貼っていて、心強いお守りでした。
先生からも、「いつでも連絡ください」と言ってもらえた事が、どれだけ心強いか。自分一人で抱えているのではないんだ、いつでも助けてくれる人がいるんだと感じながら日々向き合ってこれました。
家族の体調に変化があり、先生の携帯電話に電話するのは、やはり遠慮もあります。でも、先生に往診していただき、「大丈夫」と言ってもらえるのが何よりの安心でした。
チーム医療
先生をはじめ、看護師さん、ヘルパーさん、ケアマネさんにもたくさん助けてもらいながら、療養生活は成り立っていました。
みなさんの支えのおかげで、自分らしい生活を取り戻せたのだと思います。
自分たちのために家にたくさんの人が集合して会議を開いてくださったり、必要になった時に、すぐに必要な物品も届けていただけました。
だから、家族の私たちも介護を頑張ることができたし、孤独じゃなかったです。
色んな人から色んな話を聞いたりして、一人じゃないんだ、どこかで誰かも頑張っているんだって思えて、また頑張れました。
母との筆談メモが、今も私の宝物です
母の病気が、聞いたことのないがんだと分かったのは、亡くなる約一年前のことでした。
手術や投薬、放射線治療で治るものだと信じていましたが、やがて治療ができない状態になってしまいました。
治療が難しいと分かり、ホスピスに入るか、在宅医療にするかを選ばなければならなくなったとき、まず母に気持ちを聞くと、
母ははっきりと「病院は嫌や。家がええ。」と言いました。
あまり深く考えず、「在宅にしようか」と思い浮かんだとき、真っ先に浮かんだのが土井先生のことでした。
病院の看護師さんも「土井先生は本当に素晴らしい先生なので、お願いできるなら一番いいですよ」とおっしゃっていました。
後日、土井先生と面談をさせていただき、母の余命があと二か月ほどであること、そして二十四時間の介護が必要になることを聞きました。
私が想像していた以上に、現実は厳しいものでした。
面談の帰り道、仕事のこと、生活のこと、これからのことが頭を巡り、デパートの中を歩いているうちに、母への想いがあふれてきました。
「やっぱり母と一緒にいたい」「母が父の介護を一生懸命していたように、私も母を支えたい」
介護休暇が取れなければ仕事を辞めよう。そう決めて、在宅医療を選びました。
在宅医療が始まると、土井先生がすぐに訪問看護師さんや薬剤師さんを決めてくださり、面談の場を設けてくださいました。
退院後は、母の容態がどうなるのか分からず、夜も眠れないほど不安でしたが、土井先生をはじめ、土井医院のスタッフの方々、訪問看護師さん、薬剤師さん、すべての方に支えていただき、本当にありがたかったです。
退院後の二か月間、母は「どこにも行きたくない。家がいい」と言い、外出や散歩にも出ようとはしませんでした。
「家族と一緒にいたい」その一言でした。
一番つらい思いをしているはずの母が、「朝は牛乳と果物を食べるんやで」「ちゃんと寝なあかんで」と、私や兄、義姉や甥のことを気遣ってくれていました。
今になって、母の愛情の深さを強く感じています。
ある日、訪問看護師さんに「今、何を考えていますか?」と聞かれた母が「無になっています」と答えたとき、何もしてあげられない自分が悔しくて、胸が締めつけられました。
でも、こうした時間は、一緒にいなければ感じられなかったことだと思います。
意識がなくなった最後の一週間は、不安がなかったと言えば嘘になります。
それでも、家族みんなで母のそばに寄り添い、見送ることができました。
時間に関係なく、先生やスタッフの方々、訪問看護師さん、薬剤師さんが見守ってくださっていたからだと思います。
かけがえのない家族と、最後まで一緒にいられたことは、何よりの幸せでした。
私は母と最後まで一緒にいられて、本当に幸せでした。
母と家族を支えてくださった土井先生
一番つらかったことは、余命の宣告でした。
病院の先生から「半年です。中には三年ほど生きられる方もいます」と告げられたときのことは、今でも忘れられません。
ほどなく入院し、抗がん剤治療が始まりました。
しかし、治療は母にとってとてもつらいものでした。
周囲の患者さんや看護師さんに気を遣い、「家に帰りたい」と何度も訴えていました。
母は、人一倍気遣いをする人でした。
どれだけしんどくても、カーテン一枚向こうに人がいる病室で、ポータブルトイレを使うことができませんでした。
やがて抗がん剤治療も限界を迎え、病院のベッドは、母にとって安心できる場所ではなくなっていきました。
治療がないのであれば、病院に居続ける意味はあるのだろうか。
そう思いながらも、がんの進行による痛みや不安は増していき、先の見えない毎日に、家族も悩み続けていました。
そんな折、土井先生とスタッフの方々が、病院の主治医や看護師さんと連携し、在宅に向けた退院調整を進めてくださいました。
玄関の階段にはスロープを設置し、住宅改修も行いました。
自宅に戻った母は、家族のために買い物に出かけました。
父が車いすを押し、近くのスーパーまで一緒に行ったのです。
大阪の親戚の家にも遊びに行き、「どこが悪いんや。顔色もええやないか」と言われたことを、母はとても喜んでいました。
病院にいては、考えられなかった時間でした。
もちろん、がんの進行が止まったわけではありません。
一人でお風呂に入れなくなり、グループホームのサービスを利用し、訪問看護師さんにも家に来ていただくようになりました。
やがて、迎える時が「年単位」でも「月単位」でもなく、「週単位」になった頃、土井先生は、これから起こりうる状態について、丁寧に説明してくださいました。
その際に「何かあれば、夜中でもいつでも電話してください」と言ってくださった言葉が、どれほど心強かったか分かりません。
病気だけを見る医師ではなく、母の人生と、それを支える家族ごと見てくださっているのだと感じました。
自宅では、点滴につながれることも、機械の音に囲まれることもありませんでした。
家族の声が常に聞こえ、二十四時間、家族に見守られていました。
幼い頃に抱きしめてもらっていた私が、今度は母を抱きしめ「大丈夫やで」と何度も声をかける時間がありました。
夜になると弟が泊まりに来て、家族で「川の字」になって眠りました。
そして、ある冬の日、家族みんなが見守る中、母は穏やかな表情で旅立ちました。
母が亡くなったあと、弟が「みんなで乾杯しよう」と言い、私たちはビールで乾杯しました。
とてもきれいで、やすらかな顔でした。
「無理のない範囲で大丈夫」と言ってもらえたこと
病院に入院しているときは、安全に治療を行うという病院の管理下のもと何もかもが一律で、「~したらダメ」「~は食べたらダメ」ばかりでした。
退院して土井先生に診てもらうことになり、先生に「無理のない程度なら大丈夫ですよ」と言ってもらえたのが、とてもありがたかったんです。
もちろん、先生は無責任におっしゃっているのではなく、定期的に訪問診療に来ていただけるので、その都度相談したり、採血や体調をみながら判断いただけていたので、家での自分らしい生活をすることの背中を押してもらえました。
そういった診療を続けてもらえ、主人の好きだったコーヒーが飲めたり、喉に詰まりやすいから、と止められていたパンも食べられました。
介護をしている私としては、医療的な事が分からないので、躊躇もするのですが、先生や看護師さんがいつも様子を見に来てくださるので、主人のしたいようにさせてあげられたのだと思います。
病院にいると一患者でしかなかったですが、「オーダーメイド」の診療で、療養生活の伴走をしていただけたと感じています。
信頼できる先生に出会えてとても感謝しています。
自宅での緩和ケアを選び、主人を見送るまで
私の主人を土井先生に看取ってもらいました。先生との出会いは、家で動けなくなってどうにもならなくなり、困り果てて役所に行ったのが始まりでした。
役所の方に3件、訪問診療の医院を教えてもらったのですが、知人から土井先生の評判は聞いていたので、迷うことなく土井医院に電話をしました。
電話をするときには緊張しましたが、すぐに面談、その日のうちに診療を開始してくださり、どうしようもない不安でいっぱいだったので、とても感謝しています。
診療が始まるとすぐにベッドも入れてくれて、採血結果が出たらすぐに駆けつけてくれて。
こんなに動いてくれるのか、と驚きました。
先生に診てもらったところ、おそらく大腸癌であろう、と告知されました。
検査にだけでも病院に行くことを勧められましたが、主人は首を横に振りました。
それを見て、先生は、「わかりました、本人のご希望通り自宅で過ごしましょう」と言ってくださいました。
主人の気持ちに寄り添ってくださり、本当にありがとうございました。
私は、今までの夫婦生活で色んな事があり、病院へは行かないという主人の気持ちも尊重して、それまでを過ごしてきたので、その私たちの気持ちを理解してもらえたこと、とてもありがたかったです。
また、私から先生にお願いをしたこともありました。
「3月19日が80歳の誕生日です。80歳の誕生日を迎えられますか?」と聞くと、先生は、「その日を迎えられるよう、私たちが全力でサポートします」とおっしゃいました。
とても頼もしくて、先生についていこうと思いました。
日々変わる体調に、自分より大きな体相手の介護の日々で体も心も悲鳴を上げて必死でした。
亡くなった後も涙も出ないくらい、やり切ったと感じています。
とても濃縮された日々でした。
先生をはじめ、看護師さんやケアマネさんやヘルパーさんにもたくさん助けてもらいながら、主人を見送ることができました。
在宅医療のある日常
ー モデルケース ー
在宅医療では、医師だけでなく、看護師・介護スタッフ・リハビリスタッフ・薬剤師などが連携し、日常生活を支えています。
ここでは、在宅療養の一例として、ある1か月の関わり方をイメージでご紹介します。
訪問診療
訪問看護
訪問介護
訪問リハビリ
訪問薬剤師
※関わり方や頻度は、病状やご希望により異なります。
※すべての方が同じスケジュールになるわけではありません。
よくある質問
療養者さんを迎えるための準備や環境を整える必要はありますが、病院に通う負担はなくなります。
しかしながら、家に戻られてからは、療養者さんの生活介助などがあります。そうした際には、家族のみなさんと相談し、ケアマネジャーなどと連携しながら、家族への負担の軽減に向けて、ひとつ一つ解決していきます。
家で過ごしたい本人の思いに寄り添うやさしさと思いやりがあれば、共に過ごす時間も長くなり、充実したかけがえのない生活が送れます。
救急車を呼ぶ前に、必ず当院の医師に連絡をお願いします。
療養者さんの容態が急変した際、とっさに「救急車!」と思うことがあるかもしれません。しかし、救急車を呼ぶことで望まぬ処置などを受けることもありますので、あわてずに、当院へご連絡ください。
病状が急に変わった時でも、すぐにかけ付けられる範囲とし、主に向日市・長岡京市・大山崎町・京都市西京区・伏見区(桂川以西)などです。
療養者さんやご家族にとって最良と思える選択肢を一緒に考え、病院主治医、在宅主治医、相互にサポートできるよう努めます。
とりあえず家で過ごしてみる、という考え方からはじめてみるのでも大丈夫です。療養者さんやご家族にとっての選択を尊重します。
痛みのコントロールはご自宅でも十分に可能です。
緩和するためのお薬などを利用することで安心して暮らすことができます。療養者さんに合った分量などを医師が適切に判断いたします。
まずは、ご相談・ご連絡ください。